東京都には活火山がある。しかも21も。
こう聞いて驚かない人はいないでしょう。
日本にある活火山の数は111。ということは、東京都が19%も保有しているのです。さらに国土に占める東京の面積比5.8%と考えあわせれば、東京のイメージはガラリと変わるのではないでしょうか。
東京駅から伊豆大島の三原山までは、直線距離で約120㎞。三原山といえば、全島民が島外避難した1986年の噴火を思い出した方も多いことでしょう。
離島には独特の空気感があります。四方を海に囲われているため、台風が直撃します。伊豆大島の場合は、これに噴火が加わるのです。島の人たちと出会った時に、どこか違うなと私たちが感じるのは、自然に対する畏怖と諦念の差なのかもしれません。
現在、大島町の人口は6000数百人。人口約1万2000人と最も多かった1950年頃と比べるとほぼ半減してしまいました。急速な人口減は、農業に限らず島全体に暗い影を落としています。
取材動画(ドローン撮影付き)https://youtu.be/drXTdcwaU80(新しいタブで開きます)
ドローンパイロット:広瀬欣也(ヒロセ・スタジオ:https://hirosestudio.com/company/(新しいタブで開きます))
土石流にすべてを奪われても、移転先で再び咲かせた島の花「ブバルディア」
ブバルディアは、伊豆大島を代表する特産品のひとつです。細い茎の先に星のような小さな花がいくつも咲き、白・赤・ピンクと色合いも豊富。フラワーアレンジメントでは主役の美しさを引き立てる名脇役として、フローリストにも重宝されています。それでいて、一枝だけでも部屋の雰囲気を明るくする魅力があります。
ブバルディアの観賞期間は10日〜2週間。定番の白は結婚式によく使われるため「花嫁の花」と呼ばれたりもします。



このブバルディアを長年育ててきたのが、神達花園の五味秀策さんです。栽培の歴史は五味さんの父の代から数えて70〜80年。かつては出荷の主力は2~3品種にすぎませんでした。それが品種改良が進んだおかげでバリエーションが増え、いまでは20〜30品種へと拡大しています。
日本国内では、伊豆大島はブバルディアにとって理想的な環境で、島で育てられた切花は市場でも評価が高く、長年愛されてきました。
五味さんの父は、オランダから品種を導入したり、日本における栽培体系を確立したブバルディア生産のリーダー格。五味さん自身も、大島のブバルディアの牽引役として一目置かれる存在でした。
しかしこの状況は2013年の台風26号で一変しました。記録的豪雨による大規模土石流に、生産用ハウスも自宅も土砂にのみ込まれたのです。五味さんの妻と娘は入院、自身も怪我を負いました。
さらに、先祖代々暮らしてきた土地は危険区域に指定され、島内の別の場所に移住することに。
五味さん一家の日常は、一晩ですべてが奪われてしまったのです。
それでも五味さんはブバルディア生産を諦めませんでした。移転先となった新たな土地を切り拓いて、パイプハウスを新設。以前とは環境が異なる場所に、再びブバルディアの苗を植え始めたのです。 再起から7〜8年。五味さんのブバルディアは見事に息を吹き返し、以前よりも豊かに咲いています。五味さん夫婦の努力はもちろんのこと、東京都農業総合研究センターも伊豆大島のブバルディア生産に大きく貢献しています。
都が育成したオリジナル品種、「サニーレッド」「オーロラ」「フラミンゴ」「パールピンク」「シルキーホワイト」が高値で取引されるようになったからです。これらは輸入切り花にはない個性が明確で、島の特産品としての価値をさらに高めてくれているそうです。

「ブバルディアを知らない島民はいないのに、日本ではかなり花好き以外にはまだ知られていません。花屋さんでもしブバルディアを見かけたら、ぜひ一度買ってみてほしいですね」(五味さん)
火山島で繰り返されてきた再生の物語が、試しに買ってみたブバルディアの魅力をより引き立てくれることでしょう。
伊豆大島の切花生産者は、すべて個選個販であり、各自が独自のスタイルで経営を行っています。
「島での切花生産は、産地や組織の制約が一切なく、自分のやりたいようにやれる面白味があります。すべてが自分の責任。100%自分の花で勝負できるのがやりがいですね。
大島産ブバルディアの生産量は減ってしまっていて、現状は供給不足。新規就農者には狙い目の作物かもしれません」(五味さん)
大島産牛乳を復活させた社長に思いを託され、島で再出発した元営業マンが支える「大島牛乳」
「大島での暮らしが、私のすべてを変えてくれました」
こう語るのは、伊豆大島に移住して3年半の山下大輔さん(31歳)です。
いまでは大島牛乳の工場長となった山下さん。島唯一の牛乳づくりを現場で支える人物は、畜産も食品製造も未経験のまま島に渡った人物でした。

山下さんは都心で営業マンとして働いていましたが、理想と現実のはざまで仕事に疲れきり、農業分野への転職を希望します。そしてパソナの就農支援事業で伊豆大島へ。1カ月間の就労体験先が、大島牛乳だったのです。体験先として大島牛乳を選んだのは、「牛乳が大好き」というシンプルな理由からでした。この選択が山下さんの人生を大きく変えることになろうとは、山下さん自身想像もつかなかったそうです。
「この島で暮らしたい」。
湧きあがった気持ちと、白井社長に「一緒にやろう」と声をかけられたうれしさとから、山下さんは大島牛乳に就職を決めます。
しかし、仕事の大変さは想像をはるかに超えるものでした。

当時社員数人で回していた大島牛乳では、牧場の仕事と工場の仕事の両方をこなせなければなりません。朝は暗いうちから牛の世話、搾乳。そのまま工場に移動して殺菌、瓶詰め、検査、出荷準備。
「知らないことばかりで、ほんの小さなトラブルでも全部が怖かったです。私は供給責任を果たさなければならない立場ですから、正直トラブルは今も怖くてたまりません」(山下さん)
山下さんが移住する前の話になりますが、大島牛乳は暗く重い歴史を抱えていました。
2007年、大島牛乳倒産。
1926年には約1200頭ものホルスタインが飼育され、「ホルスタイン島」とも呼ばれた伊豆大島から、島でつくられる牛乳が消えた時期があるのです。
その結果、学校給食ではナショナルブランドの牛乳が提供されるようになったのですが、思わぬ事態が起きました。
最初に声をあげたのは、島の小学校に勤める管理栄養士でした。
「急に生徒たちがおいしくないと言って牛乳を残すようになりました。このままでは子ども達の健康が心配です。学校給食から大島牛乳をなくさないで」
大島牛乳を復活させてほしいと頼まれたのが、当時町会議員だった白井嘉則さん(現社長・83歳)です。白井さんは仲間と共に立ち上がり、町ぐるみで新生株式会社大島牛乳を設立させます。一時はゼロになってしまったホルスタインを5頭買い戻すところからの再スタートとなりました。
商品としての大島牛乳が復活したのはよかったのですが、経営的には赤字が続き、存続が危ぶまれる事態に陥りました。そこから負債を返済して会社を立て直したのが、議員を退き社長に就任した白井さんでした。
山下さんは、この白井さんに大島牛乳の未来を託され、就職からわずか数年で工場長に抜擢されたのです。
そんな山下さんいち推しの商品が「大島バター」。

ホルスタインの生乳単独でつくられるバターは、非常に珍しいのだそう。バター製造には乳脂肪分が高い方が有利なため、ジャージー牛やブラウンスイス牛の生乳をブレンドするのが一般的なのです。
「うちのバターは風味が他のバターとは明らかに違います。特徴はスッキリ上品なミルキー感ですから、トーストせず、そのままバゲットにつけて味わっていただきたいですね」(山下さん)
大島牛乳も大島バターも、そして生乳を提供してくれるホルスタインも、大島で生まれ育った社員と山下さんが守っています。
「着実に乳牛の数と製造量を増やしていき、早く大島管内で必要とされる量すべてをまかなえるようにしたいです」
こう語る山下さんの表情は、白井社長とどこか似ていることに気づきました。

大島の新たな名産品に育て! よみがえらせた島の宝「オオサヤエンドウ」

伊豆大島では古くからキヌサヤエンドウの生産が盛んです。しかしその陰で、島に導入された3種類のエンドウ——キヌサヤ・スナップ・オオサヤ——のうち、なぜかオオサヤエンドウだけはほとんど作られないまま、長いあいだ眠り続けていたのです。
莢が10センチを超えるほど大きくなり、柔らかく肉厚で甘い。しかも加熱してもシャキシャキ感が残るという明確な特徴があります。
にもかかわらず、島内で受け入れられなかった理由ははっきりしていません。おそらくほとんどの人が、サヤエンドウとスナップエンドウの2種類あれば十分だと思い込んでしまったからなのでしょう。
その結果、オオサヤエンドウは島内ですら忘れ去られた野菜になっていました。 この「島の宝」を島の新たな特産品にしようと立ち上がったのが、伊豆大島農業生産組合代表理事の藤田光正さんです。

「このままでは、大島だけが持っている品種が消えてしまう」
こんな危機感が藤田さんの背中を押しました。
オオサヤエンドウは、戦後大島に移住した二村伊三郎さんが、海外品種から改良した品種です。仲間のひとりが大切に育て守ってきた系統が、オオサヤエンドウの復活につながりました。10年前、藤田さんを中心にオオサヤエンドウ生産部会が立ち上がり、5年前からは4名の生産者が本格栽培に取り組んでいます。
藤田さんがオオサヤエンドウの普及を推進する理由は明確でした。「生産者・消費者・流通」の3者すべてにメリットがある品種だからです。
生産者メリット
連作障害がほとんどなく、キヌサヤよりも長期収穫が可能。莢が大ぶりなので収穫・選別時の作業負担が少ない。
消費者メリット
繊維質が少なく柔らかいのに肉厚で、噛むほど甘みが広がる。加熱しすぎてもシャキシャキ感が失われない。
流通メリット
伊豆大島でしか生産されない唯一無二の食材として提案でき、青果販売店も飲食店も付加価値をPRできる。
まさに、三方よしのポテンシャルがオオサヤエンドウにはあります。
話し方も動きも若々しい藤田さんは、今年オオサヤエンドウ用のオリジナルパッケージを制作しました。1㎏用の段ボール箱と200g用の防曇袋です。

「オオサヤエンドウをいま一番高く評価してくれているのは、千葉の物流会社なんだ。顧客に高級料理店を多く抱えているため、東京の市場よりも高くね。東京の市場の方が量は多く買ってくれてはいるものの、残念ながらキヌサヤより安くなってしまっている。東京産のオリジナル品種だというのに。今シーズンは、このパッケージを使って販路を広げたい」(藤田さん)
かつて一度は途絶えかけたオオサヤエンドウ。
その種子を守り続けた人がいて、それを未来につなげようと立ち上がった人がいて、いよいよ特産品として島の農業を支える存在になろうとしています。
「あと少し高く売れるようになれば、オオサヤエンドウを生産したいというキヌサヤ生産者は結構いる」(藤田さん)
藤田さんたちによって新しい生命を吹き込まれたオオサヤエンドウは、近い将来、伊豆大島を代表する名産品へと育ち、島の農業を支える存在になっていくことでしょう。サヤエンドウよりもずっと大きな莢には、島の人たちのしなやかな底力も詰まっているのかもしれません。
この記事を書いた人:

食べるTOKYO編集部 ライター
品種ナビゲーター/育種家
新宿生まれ新宿育ち。
キリンのアグリバイオ事業で屈指の高収益モデルを確立し、2004年には世界的な育種賞の初代受賞者に。
独立後は、植物・食・歴史を横断し、農と食の裏話を現場のリアリティとともに、誰もがワクワクする物語に仕立てて発信中。
著書に、『日本の品種はすごい』(中公新書)『日本の果物はすごい』(中公新書)『野菜と果物 すごい品種図鑑』(エクスナレッジ)など。
1億4000万年の進化を一枚の絵に描く「くだもの進化アートマップ」企画監修。
技術士(農業部門)。J.S.A.ソムリエ。
